なぜスピン?
半導体中のキャリアは”電荷”という性質の他に”スピン”という性質を併せ持っています。これまで半導体中の”スピン”を利用したデバイスはほとんどありませんでした。しかし近年,半導体中の”スピン”のもつ量子力学的性質を上手く利用することにより量子コンピュータ,量子通信といった新しい機能を持つデバイスへの応用が可能になると期待されてきています。
スピン輸送とは
半導体中のキャリアスピンの性質を調べる研究は数多くなされており,中でも,円偏光によって向きが揃えられたスピンが時間と共にバラバラになっていく現象(スピン緩和)については様々な材料,構造で調べられています。特にGaAs中の電子のスピン緩和時間は最大でナノ秒(10-9秒)のオーダであることが知られています。
しかし,これらのスピンを空間的に移動させたらどうなるかということはあまり知られていませんでした。幸いなことに半導体中のキャリアは”電荷”という性質を併せ持っていますから,外部から電界を加えればローレンツ力 F = qE を受けて移動します。本研究では,円偏光によってGaAs表面に生成したスピンの揃った電子を電界によって移動させ,移動後の電子の発光の偏光度を調べることにより,どの程度のスピン情報が保たれるのかを調べるという実験を行いました(図1)。
図1 スピン輸送を調べる実験方法
実験
図2は実際に行った光学測定の配置を示しています。試料は液体ヘリウムにより数K〜50Kにまで冷やされています。スピンの揃った電子を生成するためにレーザ光を円偏光にしたものを試料に当て,発光層からの発光をストリークカメラ(光検出装置)により検出します。
図2 光学測定配置
実験結果
図3がその結果です。発光の円偏光度すなわち輸送後のスピンの向きが,バイアス電圧に対してどのように変化するかをプロットしたものです。
常識的に考えれば
”電界を強くする” = ”速く移動させられる” = ”スピンがばらばらになる前に到達させられる”
となりますが,実際の実験結果は予想に反して,
”電界を強くする” = ”スピンがばらばらになってしまう”
という傾向を示したのです。
この結果は後の考察によって,高電界によって大きな運動エネルギーをもった電子がスピン緩和機構の一つである”D'yakonov-Perel'機構”を強めていることが原因であるとして説明できることがわかりました。
図3 測定結果(発光偏光度のバイアス依存性)